(2004年(平成16年)4月30日(金曜日) 東京新聞朝刊より)
言いたい放談
「二つの自己責任論」
草野 厚
 イラク人質問題が尾を引いている。「日本人人質は反日的分子」という自民党参議院議員の暴言まで飛び出し、人質には一定の責任が有ると考える私は肩身が狭い思いだ。実は、自己責任論には二つある。朝日新聞の早野透氏が書いた(4月20日)ように、一つは四月十二日の外務省、竹内事務次官の発言にみられる、政府の責任にも触れ、NGOの意義を評価した上で、自己責任の原則を自覚して、安全確保をしてほしいというもの。もう一つは、前述の議員が典型例だが自業自得論で、自己責任を問うものである。
 問題は、こうした区別をせずに、政府が後者の自業自得論に立つ自己責任論を展開しているかの如き批判が多すぎることだ。本欄にもその傾向がある。自分の主張に合わせて都合よく「証拠」と称するものを並べてはいけない。
 パウエル国務長官の四月十五日の「三人を誇りに思うべき」というフレーズも一人歩きした。TBS取材での発言は「好意」をもって迎えられた。しかし「リスクを進んで引き受けてくれた日本がイラクに送っている兵士たちのことも大いに誇りに思うべきだ」という部分や、誘拐犯の要求には、新たな要求を生むことになるので、決して屈してはならないと、小泉首相を賞賛したところなどはほとんど紹介されていない。
 取材の一部ではなく、TBSが全てを伝えたなら、印象はだいぶ違ったはずだ。それにこの「誇りに思うべき」だの発言を引き出した質問も些か誘導的だ。近代国家の歴史で、どの国家も自国民保護は義務といわれるがと前置きし、今回の三人の準備不足など固有の事情には触れずに、一般論として、日本の一部の人びとは人質はリスクを進んで冒したのだ、自己責任だといっているが、どう思うかと聞いているだけだ。これでは、回答に人質の未熟さへの批判は出てきにくい。
 自己責任論を一括りにして政府はけしからんと批判し、人質が安全確保に万全な措置をとらなかったという点には目を瞑るというのでは、逆の意味で批判は免れ得ない。
(慶応大学教授、国際関係論)