平成16年1月26日 朝日新聞朝刊より

私の視点

日本学術振興会特別研究員(カフカス民族研究)前田弘毅(まえだひろたけ)

◆新生グルジア 文明の交差点に光を

 グルジア新大統領に選出された36歳の若き指導者ミヘイル・サアカシュビリ氏と、トビリシからイスタンブールへ向かう飛行機で乗り合わせた事がある。話には日本の具体的な商社名も出て、日本への強い関心をうかがわせた。後日、彼に会った商社マンは、その英語力に舌を巻いていた。
 ソ連崩壊後、独立して10年を経たグルジアだが、いまだ一般の人々の生活は苦しい。生活インフラの劣化は止まらず、電力事情も改善の兆しは見られない。しかし、昨年11月の政変では、そうした生活の中でも徐々に若い世代が育ってきていることを印象づけた。
 政変時、日本ではシェワルナゼ大統領(当時)の去就に注目が集まった感がある。しかし、世界的に注目されたのは、この「革命」が新たな世界秩序を如実に反映していたからだ。
 それは冷戦以降、若い世代を直接、間接に指揮してきた欧米の影響力拡大であり、一方で、「裏庭」カフカスを手放さないとするロシアの必死の巻き返しだった。対テロ戦争以降、「一極」アメリカの覇権ばかりが強調されるが、こうした小国の事変からも、それが常に世界規模で動いているパワーゲームの一側面であることを理解しなくてはならなない。
 現在のグルジアとカフカスを巡る課題を眺めると、まず、カスピ海資源(原油と天然ガス)を輸送する経済問題が注目される。しかし、経済戦略は常に政治戦略と一体である。
 カフカスは極めて「政治的」地域だ。政変後いち早くトビリシを訪問したラムズフェルド米国務長官は、その足で北イラクのキルクークに向かった。世界地図を一見すればわかるように、カフカスは中東・ロシア・ヨーロッパ・中央アジアなどの諸文明が交差する地であり、その戦略的価値は極めて高い。
 また、地政学上の要衝は、「文明の衝突」の最前線でもある。それは、ロシアにとってはイスラム世界との境界であり、アメリカにとっては旧共産圏からユーラシアに延びる回廊に民主主義を根付かせる「実験場」である。中東の勢力でもイスラム革命を成就させたイランと世俗主義を掲げて欧州との一体化を目指すトルコが、カフカスで互いの覇権を争っている。
 このように、国内外の諸勢力が独自の動きを繰り広げるカフカスの地で、グルジア新政権の抱える課題は枚挙にいとまがない。破綻(はたん)した経済の建て直しが最優先であるが、最大の市場であり出稼ぎ地であるロシアと、どう向き合うのか。
 単に外向きの顔が若返っただけでは、援助国である欧米や国際社会に訴える力も限界がある。古い歴史と豊かな伝統芸能や文化遺産を生かした国づくりも、治安が安定しなければ絵に描いた餅にすぎない。
 ただ、今回の政変が無血で終わったことは、ソ連の中に閉じ込められて世界を知らず、独立後も果てしない復讐(ふくしゅう)の連鎖が続いたカフカスの人々が、自らに向けられる世界の目をある程度意識して行動し始めたことを示している。
 昨年末、隣国アゼルバイジャンではアリエフ前大統領が死去した。旧ソ連諸国の有力指導者の相次ぐ退場はポスト・ソ連期の世代交代を印象付けた。日本が、大使館も置いていないグルジアでできることには限界もあるが、変革期の地域秩序と世界情勢の行方を考えるためにも、その動きに目をこらす必要がある。