昭和天皇が靖国神社のA級合祀に不快感を示していたとされる当時の元宮内庁長官、富田朝彦氏の書き残したメモ(1988/04/28付)があることが分かった。

> 私は 或る時に、A級が
> 合祀されその上 松岡、白取
> までもが、
>  筑波は慎重に対処して
> くれたと聞いたが
>  松平の子の今の宮司がどう考
> えたのか 易々と
>  松平は平和に強い考が
> あったと思うのに 親の心子知
> らずと思っている
>  だから私あれ以来参拝
> していない、それが私の心だ

「松岡」「白取」は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使とみられる。

昭和天皇は松岡洋右を嫌っていたといわれる。

「昭和天皇独白録」にも
「松岡は帰国してからは別人の様に非常なドイツびいきになった。恐らくはヒットラーに買収でもされたのではないかと思われる」
「5月松岡はソ連との中立条約を破ること(イルクーツクまで兵を進めよ)を私の処にいってきた。こんな大臣は困るから私は近衛に松岡を罷めさせるようにいった。」
と書かれている。

1978年、靖国神社がA級戦犯らを合祀した際、昭和天皇の意を汲んだ宮内庁は、松岡の合祀に強く抗議している。

因みに、徳川侍従次長の回想録には次のようにある。
> 絞首刑になった東条以下七人はともかくとして、未決のまま東大
> 病院で病死した松岡洋右、永野修身の二人、とくに松岡のように
> 「軍人でもなく、死刑にもならなかった人を合祀するのはおかしい
と。

1979/04/19付の入江日記には、
> 朝刊に靖国神社に松岡、白鳥など合祀のこと出、テレビでもいふ。
> いやになっちまふ
とある。

「筑波」は1966年に厚生省から祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(合祀はするものの時期については慎重に判断すると決まった)、「松平」は終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣、「松平の子の今の宮司」は合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司とみられる。

尚、産経新聞は以下のように伝えている。
Sankei Web 社会 昭和天皇、靖国のA級戦犯合祀に不快感(07/20 16:00)

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