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天皇の戦中生活描く 海軍侍従武官の手記発見

本日付の東京新聞朝刊では以下のように紹介されている。

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昭和天皇の戦中生活描く 海軍侍従武官の手記発見

日中戦争開始前年から昭和天皇(一九〇一?八九年)の海軍侍従武官を務めた故山澄貞次郎(やまずみていじろう)氏(七六年に七十九歳で死去)の手記を遺族が見つけた。昭和天皇の知られざる人柄や質素な生活ぶりが、側近の目を通して描かれた貴重な資料として注目される。

 手記は「随筆 宮殿炎上」。山澄氏は三六(昭和十一)年五月?四〇年十一月の四年半、軍部との連絡役を担う海軍侍従武官(計三人)の一人として昭和天皇に仕えた当時の様子などを、終戦後の四八年につづった。

 まず昭和天皇の「人間宣言」について「事実は決してそんな変化があった訳ではなく」「以前から決して御自身を神と思召していらっしゃりもしない」と説明。四六年から始めた全国巡幸を「機会があったら今度の戦争について国民にわびたい、日本再建の努力に力づけをしたいと思召していらっしゃったのが御主旨(しゅし)」と記す。

 生活ぶりは「何事にも堅実簡素を尊ばれる」とし、好況の当時でさえ食事は「米は召し上がらず、七分づきのご飯に一汁二菜、お香物位で、皆が想像するように、山海の珍味を並べる王者のお食事とは全く違う。私は金持ち連中は少しは自重しろと憤慨した」。

 下着も「すっかり切れるまで洗濯して召される。ぜいたく品は使わず、品質が悪くても国産品や代用品を利用、腕時計は国産のニッケル物。写真を見る際は「包装やアルバムの体裁などは何でも良く、仰々しいのを殊にお嫌いになった」と明かす。

 軍服姿の真夏の執務でも扇風機を使わず、冬の葉山御用邸の滞在は「御避寒」とされていたが「実際は筑波おろしの寒風を突いて連日荒けた海上にお出ましになる御鍛練であって(生物研究の)御趣味でなければ決してできない」と振り返る。

 昭和史に詳しい作家・半藤一利さんの話 昭和天皇の暮らしぶりを示す詳細な描写がある。人々が興味を持つ内容で今まで書かれていなかったことが書かれており、天皇の生活を具体的に示す記録として興味深い。

(東京新聞)
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戦後となり、時間が経って世の中が平和になった時でさえ、昭和天皇は、(私が日本国内のあちこち移動をすれば警備にお金が掛かる、そうしたお金があるなら他の用途に有効に使って頂きたい)と、さまざまな行事への参加や被災地への訪問なども極力ご自重されたと伺っている。

「開かれた王室」というのもそれはそれで良いのかもしれないが、私は昭和天皇のこうしたお人柄に、心から敬意を表する次第であります。

日本批判の根拠『田中上奏文』 中国側 『偽物』認める見解

日本批判の根拠『田中上奏文』 中国側 『偽物』認める見解

東京新聞 2008年1月1日 07時13分

 【北京=鈴木孝昌】日中両国政府の合意を受けて二〇〇六年末から進められている「歴史共同研究」で、中国側が「対中侵略の計画書」と位置付け日本側と真偽論争を続けてきた「田中上奏文」について、中国側が「偽物」と認める見解を示していることが分かった。中国は同文書を対日批判の根拠としてきたが、公式な研究で見解が見直される可能性があり、歴史認識の違いを埋める一歩となりそうだ。

 田中上奏文は、一九二七(昭和二)年、当時の田中義一首相が対中侵略や世界征服の計画を昭和天皇に密奏したとされる文書。日本では「偽物」との見方が大勢だが、中国では歴史教科書にも記述され、北京の盧溝橋にある「抗日戦争記念館」でも展示されている。

 共同研究の複数の中国側関係者は、本紙に対し「田中上奏文は信頼性が低く、中国の専門家の間でも本物ではないという考えが主流になりつつある」と指摘。〇七年十一月に福岡で開かれた分科会でも中国側委員から同様の意見が出された。

 委員の一人で、中国政府直属の研究機関、中国社会科学院の〓立峰・日本研究所所長も、〇五年以来、非公式に同様の考えを示している。

 〇八年六月にまとめる共同研究の報告書で「偽物と結論づけるのは時期尚早」(関係者)との意見があるものの、主流となりつつある考え方が報告書に新たに反映される可能性がある。

 同時に、中国側は「日本に対中侵略の意図があったことは確実。満州事変後の事態は、ほぼ上奏文の通りに進展した」との立場を堅持。日中戦争を「侵略戦争」と認めるよう求めている。

 日中歴史共同研究は、〇六年十月に安倍晋三前首相と胡錦濤国家主席の首脳会談で合意。古代・中近世史と近現代史の二分科会に分かれ、両国の専門家計二十人が議論を進めている。

 <田中上奏文> 1927年、日本政府が対中政策を検討した「東方会議」を受け、田中義一首相が天皇に上奏したとされる文書。中国語で2万6000字に及ぶ長文で「支那を征服せんと欲せば、まず満蒙(中国東北部と内モンゴル)を征服せざるべからず。世界を征服せんと欲すれば、まず支那を征服せざるべからず」とし、大陸における移民政策などの具体的政策が記されている。

 台湾出身の商人、蔡智堪が宮内省の書庫に忍び込み書き写したとされ29年以後、中国内外に流布。しかし日本語の原文は発見されない上、上奏文を宮内大臣あてとするなど“誤り”が目立ち日本側では早くから偽物とみられていた。

 ※ 〓は蒋の旧字体

「イラク開戦の動機は石油」?

「イラク開戦の動機は石油」=前FRB議長、回顧録で暴露
>  【ワシントン17日時事】18年間にわたって世界経済のかじ取りを担ったグリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長(81)が17日刊行の回顧録で、2003年春の米軍によるイラク開戦の動機は石油利権だったと暴露し、ブッシュ政権を慌てさせている。
>  米メディアによると、前議長は「イラク戦争はおおむね、石油をめぐるものだった。だが悲しいかな、この誰もが知っている事実を認めることは政治的に不都合なのだ」と断言している。
>  ブッシュ政権は、当時のフセイン政権による大量破壊兵器計画阻止を大義名分に開戦に踏み切ったが、同兵器は存在しなかったことが後に判明。「石油資源確保が真の目的だった」とする見方は根強く語られてきた。
との記事があります。

しかし、
Washington PostのStaff Writer Bob Woodwardによるインタビュー記事 Greenspan: Ouster Of Hussein Crucial For Oil Security を読みますと、
時事通信社の付したタイトルや記事本文は、随分とバイアスのかかった付け方だな、という思いを禁じえません。
※ 興味のある方は是非上記リンク先もご覧下さい。

私たちは湾岸戦争後に行われた、国連の「イラク石油食糧交換プログラム」に関連する不正も忘れてはならないと思います。
その当時も何故かこの問題に関しては、あまり日本国内で話題になることはありませんでした。

新聞やニュースの文言だけに踊らされないよう、物事を正しく見る努力が大切なのだと思いました。

二子玉川花火大会(2007)

今年も二子玉川花火大会(川崎市制記念 多摩川花火大会)に行ってきました。
「世田谷区たまがわ花火大会」と同時開催です。

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今年の鑑賞は、東京会場の救護所前に広がる観客席、ほぼ最前列近くにて。
例によって飲酒状態?でのデジカメ手持ちです。
ぶれないようにするのが大変でした(笑)
……って、ぶれてますね(汗

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なお、上流側で行われている世田谷区たまがわ花火大会の花火は、その方向にちょうど立木があったため、自分たちが座っている場所からはあまり見えなかったのですが、さすがに15号(1.5尺)玉を打てるあちら側の迫力は凄くて、二つの花火大会のコラボレーションはなかなかのものでした。(こちらは写真無し、連れは浮気しちゃだめ?って叫んry)

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すぐそばに座っている、おじいちゃんと少しおませな子供の会話に、花火を見ている間、ずっとニヤニヤしてしまいました。

もちろん、ハナビリュージョンもすごかったですね?。

何となく、戦時の高射砲か、スペースギャラクシー(古っ)で連射している時のように見えてしまったのは気のせいですよねw?

天候が心配でしたが、なんとかもってくれて良かったですね。
最初は無風状態、こりゃやべー、煙幕ショーになっちゃうーとハラハラしましたが、適度な風も吹いてくれ、最後の方で空から雨がぱらぱらと来ましたが、それもほんの少しの間だけで、本当に助かりました。

花火を見ている間はお酒のみで、食べ物の調達は無しだったため、花火大会終了後、屋台で一気に食べました。

じゃがバター、焼きそばは良いとして、お好み焼きはいままで食べた事のない、本当にびっくりする味でした。(…生焼け…orz)

ちょっと迫力が減ったかな? という感じもしましたが、今年もとても楽しかったです。

是非来年も開催されることを期待していま?す>運営者様

文字通り何百万もの日本人の命が更に犠牲になるかも知れなかった戦争を終わらせた

第2次大戦末期の広島と長崎への原爆投下について

「文字通り何百万もの日本人の命がさらに犠牲になるかもしれなかった戦争を終わらせたということに、ほとんどの歴史家は同意すると思う」
(7月3日、米国国務省での会見、ロバート・ジョゼフ核不拡散問題担当特使(前国務次官))

「日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性がある。
日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことで日本も降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。
長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない。
勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない。」
(6月30日、久間章生前防衛相、千葉県柏市の麗澤大学での講演)
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