人は何かを想って、それに基づいて行動を起こす。
その想いのあり方が結果を決める。

例えば、世の中には交通事故に何度も何度も遭う人が居る。
交通ルールを守らずに事故に遭うのはある意味当然とも云える。
しかし、ルールを厳守していたにも関わらず事故に遭う人が居る。

また、或る知人の話であるが、その知人が駅の地下コンコースを歩いて居たら、
あさっての方向から走って来た若者に、突然飛び蹴りをされそうになった。
知人は若者の蹴りをかわし、足は宙を空振り、そのまま走り去って行ったと言う。

その知人と若者は全くのあかの他人、また若者は酔っ払っていた訳でも何でもない様子だったそうである。
ましてや、普通に歩いていて、他人に突然飛び掛られる状況というのは、中々考えにくい。

世の中を見てみれば、通り魔殺人であるとか、不可解な事件もある。

これらの事例は、どれも「外から押し寄せるもの」に依って被害を蒙った・蒙りそうになった、と言える。

それでは、被害を受けた側には何も原因は無かったのか?

はっきり云うと、
被害を受けた側には受けたなりの原因が、加害側には加害側の原因があって、
両者の同通するものが作り出した結果なのである。

だから、何度も交通事故に遭う人はその原因を、
飛び蹴りされそうになった人はその原因を改めない限り、
自分の持つものが、外からの負のものを引き寄せ、何度でも同じ事を繰り返してしまう。

この循環を解決するのには、自分の想う事が果たして正しいのか間違っているのかを観て、若し間違っていたならば二度と同じ想い方をしない以外には無い。